August 15, 2005
雑想「死」
■同じ年回りの子供を持つ親は、やっぱり同じようなこと考えるものらしい。
◎森田桂治ウェブサイト「死について考える」
編集長の息子さんは、ウチの娘よりほんの三週間ほど年上。まぁようするに、ほとんど同い年なわけだ。
◎森田桂治ウェブサイト「死について考える」
編集長の息子さんは、ウチの娘よりほんの三週間ほど年上。まぁようするに、ほとんど同い年なわけだ。
で、やっぱり僕も日々、娘に「死ぬ」ということを説明するのに苦労させられてる。
彼女は最近遊びの中でも「死ぬ」だの「死んだ」だのを頻発するようになってるんだけど、もちろん意味は分かってない。
そんな中、一度だけ彼女が「死」に接して泣きじゃくったことがある。映画『ドラゴンハート』のラストで、息絶えたドラゴンの死体が消滅し、そのまま星となって天に昇っていくシーンだ。あれを観たのは、確か三ヶ月ほど前、つまり三歳になるかならないかの頃だったと思うのだが、彼女にとっても理解しやすい「死」の表現だったらしい。僕と家人がちょっと唖然とするほど、「ドラゴン、死んじゃったの、お星様になっちゃったの」と、しばらくボロボロに泣きじゃくっていた。
しかし、同じように死んだ瞬間に消えるSWのオビ・ワン・ケノービやヨーダの死には、彼女は何の反応も示さない。まぁオビ・ワンなんて、死んだ後も霊魂の姿でたびたび登場してルークと会話するわけで、あれで三歳児に「死」を実感しろという方が無理なのかもしれない。
■三歳児は「死」を知らないかというと、そういうわけではない。
例えばハエだの蚊だのの害虫が家の中に入ってきたときは、「殺してくれ」というし、こっちが叩けば「死んだかどうか」を確認しようとする。動いていればまだ生きてる、動かなくなったからもう死んでる、死んだらもう安心、その程度のことはどうやらとっくに理解しているらしい。
ニュージーランドのことなので、鳥だの羊だのハリネズミだのの死体にも、彼女はたくさん接している。自動車にひき潰された小動物の死体などは、交通安全を教える際の教材として使わせていただいている。実際、死体を見せながら、「だから自動車には気をつけなきゃいけない」と教えると、効果的。
だから、「死」自体は決して知らないわけではない。しかし、理解の仕方が、僕らとは全然違うらしい。僕らのように「死」という概念が「大変」だとか「悲しい」とは、必ずしもセットになっていないようなのだ。
じゃぁ、僕ら親が子供に教えたがっている「死」の概念って、何なんだろう?
そうやって考えてみると、僕らが知って欲しがっている「死」っていうのは、「かけがえのない者の死」であり、幼児が理解しているのは「ありふれた死」のような気がする。
じゃ、幼児にとってかけがえのない者とは誰か?
もちろん母親だ。
■ここまで考えて、何となく分かったような気がしてきた。
幼児にとっては、母親の姿が見えないくらい恐ろしいことはないだろう。
つまり問題は母親が「生きてるか」「死んでるか」ではなく、「目の前にいるか」「姿が見えないか」なのではないか。極端な例を出せば、「目の前に死んだ母親が横たわっている」よりも、「母親が、自分を残して買い物に出かけてしまっている」ことの方が、よほど恐ろしい事態に違いない。
こういうメンタリティならば、僕らの考える「恐ろしい死」を理解させるのは、ちょっとまだ早いかもしれないな、と思ったしだい。
■自分のことをふり返ってみると、僕自身も編集長と同じく、幼稚園の頃にはすでに、来るべき自分自身の死に対して、ものすごい恐怖感を抱いていたことをよく覚えている。夜ベッドに入って眠ろうとするたびに「死の恐怖」に襲われて泣きべそをかきそうになっていた。お化けとか暗闇に対する恐怖心よりも、死に対する恐怖心の方が強かったようだ。
しかし近親者が死ぬことに対する恐怖心は、編集長と違ってかなり遅くまで芽生えなかったようだ。一緒に暮らしていた曽祖父が亡くなったのが、小学校五年生のときだったのだが、そのとき感じたのも、恐怖よりもむしろ大きな喪失感だったような気がする。
となると、三歳児に「死」を教えるのは、やっぱりなかなか難しいやね。
■ちなみに「死」およびそこから生まれる「死後の世界」について、中島らも大兄が面白い考察をしている。ちょっと長いが引用してみる。
さすが稀代の天才、おみごと。「死」を、言葉の生むレトリックと看破するだなんて、凡人にできる芸当ではない。
ちなみに大兄は、このあと「輝く『生』の海」の話をして「死後の世界」をあっさりと斬ってくれる。下手な宗教よりもよっぽど元気の出る話で、やはりさすがなのである。ご興味おありの方は、ご一読を。
さて、話をもどすが、確かに大兄のおっしゃるとおりだろうと思う。いや、真実かどうかはもちろんわからないんだけど、少なくともこの考え方、僕にとってはすごくシックリくる。
人が「死」という言葉を発明する前には、「死」なんてものは存在しなかったのだろうと思うし、「死後の世界」「輪廻転生」「来世」「前世」などは、すべて「死」という言葉の発明の副産物だろう。どの言葉も「『死』というものが『在る』」という前提が崩れると、成立しなくなる。
だから、僕は亡くなった祖父母や曽祖父が、天界で僕のことを見守ってくれているとは思っていない。彼らの居場所は、僕の心の中だ。言いかえれば、「死後の世界」ってのは、まだ生きている他者の記憶の中の世界のことだろうと思っている。
こういう風に考えると、幼児の理解の仕方の方が、「言葉の呪縛」におかされていない分、案外真理に近いのかもしれないな、とも思う。
■しかし、人間社会で生きていくからには、彼らにもいくいくは我々が普段使っている「死の概念」を理解してもらわねばならぬ。編集長のエントリのコメント欄に散見されるご意見の通り、子供に死を教える意義は、「人やモノの大切さ」を教えることと同義のはず。
これはこれで大切なことだし、僕自身もそのように子供に教えていくと思う。しかし、その分真理から遠ざかっていくのかもしれないと考えると、なんか難儀なことではある。このようにして子供はもって生まれた「翼」を失い、だんだんと「人」になっていくのだろう。
■今日はお盆の中日か。ご先祖様の思い出なぞ心の中から拾いださねば。
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■応援感謝! 本日も
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彼女は最近遊びの中でも「死ぬ」だの「死んだ」だのを頻発するようになってるんだけど、もちろん意味は分かってない。
そんな中、一度だけ彼女が「死」に接して泣きじゃくったことがある。映画『ドラゴンハート』のラストで、息絶えたドラゴンの死体が消滅し、そのまま星となって天に昇っていくシーンだ。あれを観たのは、確か三ヶ月ほど前、つまり三歳になるかならないかの頃だったと思うのだが、彼女にとっても理解しやすい「死」の表現だったらしい。僕と家人がちょっと唖然とするほど、「ドラゴン、死んじゃったの、お星様になっちゃったの」と、しばらくボロボロに泣きじゃくっていた。
しかし、同じように死んだ瞬間に消えるSWのオビ・ワン・ケノービやヨーダの死には、彼女は何の反応も示さない。まぁオビ・ワンなんて、死んだ後も霊魂の姿でたびたび登場してルークと会話するわけで、あれで三歳児に「死」を実感しろという方が無理なのかもしれない。
■三歳児は「死」を知らないかというと、そういうわけではない。
例えばハエだの蚊だのの害虫が家の中に入ってきたときは、「殺してくれ」というし、こっちが叩けば「死んだかどうか」を確認しようとする。動いていればまだ生きてる、動かなくなったからもう死んでる、死んだらもう安心、その程度のことはどうやらとっくに理解しているらしい。
ニュージーランドのことなので、鳥だの羊だのハリネズミだのの死体にも、彼女はたくさん接している。自動車にひき潰された小動物の死体などは、交通安全を教える際の教材として使わせていただいている。実際、死体を見せながら、「だから自動車には気をつけなきゃいけない」と教えると、効果的。
だから、「死」自体は決して知らないわけではない。しかし、理解の仕方が、僕らとは全然違うらしい。僕らのように「死」という概念が「大変」だとか「悲しい」とは、必ずしもセットになっていないようなのだ。
じゃぁ、僕ら親が子供に教えたがっている「死」の概念って、何なんだろう?
そうやって考えてみると、僕らが知って欲しがっている「死」っていうのは、「かけがえのない者の死」であり、幼児が理解しているのは「ありふれた死」のような気がする。
じゃ、幼児にとってかけがえのない者とは誰か?
もちろん母親だ。
■ここまで考えて、何となく分かったような気がしてきた。
幼児にとっては、母親の姿が見えないくらい恐ろしいことはないだろう。
つまり問題は母親が「生きてるか」「死んでるか」ではなく、「目の前にいるか」「姿が見えないか」なのではないか。極端な例を出せば、「目の前に死んだ母親が横たわっている」よりも、「母親が、自分を残して買い物に出かけてしまっている」ことの方が、よほど恐ろしい事態に違いない。
こういうメンタリティならば、僕らの考える「恐ろしい死」を理解させるのは、ちょっとまだ早いかもしれないな、と思ったしだい。
■自分のことをふり返ってみると、僕自身も編集長と同じく、幼稚園の頃にはすでに、来るべき自分自身の死に対して、ものすごい恐怖感を抱いていたことをよく覚えている。夜ベッドに入って眠ろうとするたびに「死の恐怖」に襲われて泣きべそをかきそうになっていた。お化けとか暗闇に対する恐怖心よりも、死に対する恐怖心の方が強かったようだ。
しかし近親者が死ぬことに対する恐怖心は、編集長と違ってかなり遅くまで芽生えなかったようだ。一緒に暮らしていた曽祖父が亡くなったのが、小学校五年生のときだったのだが、そのとき感じたのも、恐怖よりもむしろ大きな喪失感だったような気がする。
となると、三歳児に「死」を教えるのは、やっぱりなかなか難しいやね。
■ちなみに「死」およびそこから生まれる「死後の世界」について、中島らも大兄が面白い考察をしている。ちょっと長いが引用してみる。
この世の生き物の中で、自分が「生きている」ということを自覚できるのは人間だけであって、「生きている」ことの反対の観念として「死んでいる」状態というものが想定される。その「死んでいる状態」についてさまざまな憶測が生まれてきて、そこに宗教の成り立つ地平があるわけだが、考えてみるとこれは人間のロジックや言語による思考が生み出す錯覚のひとつではないだろうか。「生」の対立概念として「死」というものを持ってくるから話がおかしくなる。「死」という言葉が存在する以上、「死」は存在のひとつの状態をさし示すことになる。つまり「死」は存在形態のひとつとして「在る」ものなのである。ではどういう状態で「在る」のか、というところから死後の世界のような概念が生まれてくる。これが言語がもたらしたそもそもの錯覚なのではないだろうか。
厳密に考えるなら「生きている」の反対概念は「死」ではなくて、「生きていない」でなければならない。「生」というものが「在る」ものならば「生きていない」という言葉は「無」を意味するはずである。「生きている」か「生きていない」か、この二つのありようのどちらかなのであって「死」という状態は想像力によってのみ想定されうる架空の概念でしかない。
「僕にはわからない」中島らも
さすが稀代の天才、おみごと。「死」を、言葉の生むレトリックと看破するだなんて、凡人にできる芸当ではない。
ちなみに大兄は、このあと「輝く『生』の海」の話をして「死後の世界」をあっさりと斬ってくれる。下手な宗教よりもよっぽど元気の出る話で、やはりさすがなのである。ご興味おありの方は、ご一読を。
さて、話をもどすが、確かに大兄のおっしゃるとおりだろうと思う。いや、真実かどうかはもちろんわからないんだけど、少なくともこの考え方、僕にとってはすごくシックリくる。
人が「死」という言葉を発明する前には、「死」なんてものは存在しなかったのだろうと思うし、「死後の世界」「輪廻転生」「来世」「前世」などは、すべて「死」という言葉の発明の副産物だろう。どの言葉も「『死』というものが『在る』」という前提が崩れると、成立しなくなる。
だから、僕は亡くなった祖父母や曽祖父が、天界で僕のことを見守ってくれているとは思っていない。彼らの居場所は、僕の心の中だ。言いかえれば、「死後の世界」ってのは、まだ生きている他者の記憶の中の世界のことだろうと思っている。
こういう風に考えると、幼児の理解の仕方の方が、「言葉の呪縛」におかされていない分、案外真理に近いのかもしれないな、とも思う。
■しかし、人間社会で生きていくからには、彼らにもいくいくは我々が普段使っている「死の概念」を理解してもらわねばならぬ。編集長のエントリのコメント欄に散見されるご意見の通り、子供に死を教える意義は、「人やモノの大切さ」を教えることと同義のはず。
これはこれで大切なことだし、僕自身もそのように子供に教えていくと思う。しかし、その分真理から遠ざかっていくのかもしれないと考えると、なんか難儀なことではある。このようにして子供はもって生まれた「翼」を失い、だんだんと「人」になっていくのだろう。
■今日はお盆の中日か。ご先祖様の思い出なぞ心の中から拾いださねば。
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■応援感謝! 本日も
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1. 人体模型の夜 [ Ryu's Logbook 別冊 ] April 02, 2008 16:26
■昔読んだときに、えらく感動した覚えがあるのに、手元に残っていなかった『人体模型の夜』(中島らも)、 昨年日本にいるあいだに買い求めておいて、先日十数年ぶりに読み直した。
この記事へのコメント
1. Posted by
さわだん
August 15, 2005 21:45
あくまで認識する主体あってこその概念なんですよねぇ、うんうん。
2. Posted by
Ryu
August 16, 2005 04:13
お、さわだんだ!
あれって、スゴイ考察だよねぇ、ホント。
惜しい方を亡くしてしまった……。
あれって、スゴイ考察だよねぇ、ホント。
惜しい方を亡くしてしまった……。











